回復訳聖書

とりなしの祈り

29日: 霊的な経験を持つように祈る

霊的な経験すべては、心の中の愛から始まります。もしわたしたちが主を愛さなければ、どんな霊的な経験も持つことができません。主に対するわたしたちの愛は、わたしたちを資格づけ、成就し、装備して、主の権威をもって主のために語らせます。もしわたしたち...
とりなしの祈り

28日: 愛する心を持つように祈る

愛する心とは、感情が神を愛し、神を求め、神を渇望し、神を慕い求め、主と個人的で、愛情に満ちた、私的で、霊的な関係を持っている心です。わたしたちは心を何度も何度も主に向け、心を絶えず新しくしていただかなければなりません。それは、わたしたちが主...
とりなしの祈り

27日: 心を適切に取り扱うように祈る

心は、命の入り口と出口であり、命の「スイッチ」です。もし心が正しくなければ、霊の中の命は妨げを受け、命の法則は自由に妨げなしに働くことができず、わたしたちの存在の各部分に到達することができません。命は大きな力を持っていますが、この大きな力は...
とりなしの祈り

26日: 霊が率先するように祈る

わたしたちの霊が、率先して主を享受する必要があります。わたしたちの霊が、進取的に率先して主を享受しなければなりません(ヘブル4:10-12)。 ヘブル4:10 なぜなら、彼の安息へ入った者は、神がご自身のわざをやめて休まれたように、自分のわ...
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24日: 主を享受することを第一とするように祈る

主は、ほとんどのクリスチャンの間で見逃されてきた事柄を回復しつつあります。そして、主を享受することは、これらの事柄の最も重要なことの一つです(Ⅰペテロ1:8.ヨハネ15:10-11)。 Ⅰペテ1:8 あなたがたは、その方を見たこともないのに...
とりなしの祈り

23日: 愛の中で建造するように祈る

愛は、わたしたちが何であっても、あるいは何を行なっても、キリストの有機的なからだとしての召会を建造するために最も卓越した道です(Ⅰコリント12:31後半―13:8,13)。 Ⅰコリント13:1 たとえわたしが人や天使の異言で語ったとしても、...
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22日: 極みまで主を愛するように祈る

極みまで主を愛するために、わたしたちは自分の命の日の限り、神の家に住むことと、神の麗しさ(愛すべきこと、楽しさ、喜ばしさ)を見つめることと、神の宮で神を尋ね求めることとを願い、追い求める者となる必要があります。神を尋ね求めることは、わたした...
とりなしの祈り

21日: 主の愛で押し迫られるように祈る

わたしたちは、キリストの愛で押し迫られている人でなければなりません。神聖な愛は、わたしたちに対する大水の急流のようであって、わたしたちに強いて彼に生きさせ、わたしたち自身の制御を越えて極みまで彼を愛させるべきです(Ⅱコリント5:14-16)...
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20日: 主イエスをパースンとするように祈る

わたしたちが主イエスを信じたときに受けたその命はパースンであり、このパースンを適用し享受する唯一の道は、初めの愛で彼を愛することによります。わたしたちの命としての主イエスはパースンであるので、わたしたちは彼と新しい接触を持って、まさにこの瞬...
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19日: 堕落に打ち勝つように祈る

召会の堕落は、わたしたちが主に対する初めの愛を離れることで始まります。初めの愛、最上の愛で主を愛することは、すべての事で主に首位、第一位を与え、彼の愛に押し迫られて彼を重んじ、彼をわたしたちの生活の中ですべてとすることです(啓2:4-5節....
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