兄弟たちの証しはどれもすばらしく、とても積極的なものでした。
あなたがたは一つの流れに下記の点が含まれていると語りました。それは、一年一回のブレンディング、壮年訓練遊学班、祈りの小組、福音を宣べ伝えることです。これらは工商界の特徴です。これらの点の上に、主の祝福があります。今は、これらの点を引き続き強めてください。
牧養は非常に大きな必要です。兄弟姉妹を励まして、彼らに出て行って牧養の働きをさせることは、主の願いです。召会を建造するには、基層から行なって起こす必要があり、大きな集会に頼ることはできず、一つ一つ復興する必要があります。
コロナ禍に関して、中国はよく行なっています。それは基層が行なっていることが良く、基層の取り組みが良かいからです。現在のアメリカには基層がないため、せいぜい人に勧めることしかできません。人がそれを行なわないなら、どうすることもできません。これが民主主義の弱点です。召会が健康であるかどうかは、すべて基層にかかっています。
以前、私達はまず観念を変え、その次に制度を変えると話しました。すなわち、全召会が変わる必要があります。もし、そこまで至らなかった場合は、各自がバイタルになる必要があります。全召会が真剣にこの方面に向かうなら、リマインドの系統が必要となります。これは大変重要なことです。仮に一つの地区あるいは召会には100人の聖徒がいるとします。この基層の100人を作り上げる必要があります。バイタルグループの原則によれば、二、三人が一つのバイタルグループになります。この100人が二、三人でバイタルグループを作ったら、50個のバイタルグループになります。50のバイタルグループには、50人のバイタルグループのリマインダーが必要となります。さらにこの50人には別の人にリマインドしてもらう必要がありますので、これも二、三人の原則からすると、25人のコーディネーター(リマインダーをリマインドする人)が必要です。すなわち、50人の中に25人の節々がいます。これは大変重要な節々です。同様に50人の中の25人はリマインダーの奉仕を担当します。同様に、25人のうちさらに12人のリマインダー、12人のうちに6人のリマインダーが必要です。6人のうちには2人のリマインダーが必要です。
わたしが挙げたこの例は仮の例証です。このすべての層に供給する節々があることがわかったと思います。供給する節があれば、基層の働きはしやすくなります。しかし、現在の召会は同労者、長老、執事が責任を負い、さらに地区の責任者、家の責任者がいます。この枠組は間違っていませんが、集会を中心とした枠組みであり、有機的な顧みと牧養を実行としていません。
福音、家、小組、地区の基本的な枠組みには三つの層があります。台湾は広いため、もう一つ層を加えています。それは大区と呼ばれます。大きな召会は人数が多く、顧みを行なうには供給する系統が必要です。系統と呼んでいるため、有機的なものには見えないかもしれませんが、有機的な系統を建て上げる必要があります。体にも有機的な系統があると同じです。
最近、私は「召会歴史」を翻訳しています。エルサレムの召会は数万人に成長したため、さらに多くの奉仕者が必要になりました。大きな召会には60人の長老、160人の執事がおり、そして女執事を含めて数百人の奉仕者チームとなります。多くの奉仕者が必要になるのは自然な傾向です。しかし、カトリックの過ちはそれを組織化したことです。執事の上に長老がおり、長老の上に主教がおり、主教の上に法王がいます。階級を重ねて厳密な組織を形成しました。
キリストのからだはこうであってはなりません。地区の責任者、小組の責任者、家の責任者はそのままで動かないでくださいとさえ言います。これは体に、血液、神経、神経系統、骨を構成する枠組みがあると同じです。ですから、牧養と顧みの系統が必要です。このことについて、十数分間で簡単に語り切ることはできません。時間をかけて建て上げるなら、それは非常に奥深いことです。しかし、あなたが召会の責任者ではないなら、この制度に参加しないてください。この制度は責任者から行なわれなければなりません。
もしもっぱら牧養と顧みの働きをする奉仕のチームを起こし、現にあるチームに加わった場合、障害ではなく、強めることになるでしょう。それはヨセフとマリアのようです。ヨセフはリードする人で、マリアはキリストを生みます。二つの路線です。同時に、この牧養の系統はある困難に打ち勝つことができます。それは枠組みの系統は、必ず兄弟たちでなければならず、一般的に姉妹は入っていないというものです。しかし、牧養の系統には姉妹も参加することができます。
先ほども言いましたが、毎年のブレンディングはインターネットを通して交わり、遊学班訓練などはどれもとても良いです。兄弟たちは各地の責任者とより多く交わる必要があると言われたこともとても良いことです。みなビジネスをしながら、時間がない中、兄弟姉妹を顧みなければなりません。しかし、主の再来が近いため、懸命になるしかありません。