とりなしの祈り 20日: すべてに十分な神を経験するように祈る 「すべてに十分な神(ヘブル語で「エル・シャダイ」)」という神聖な称号が啓示しているのは、神が恵みの源であって、神の神聖な存在の豊富を神の召された者たちに供給して、神の定められた御旨を完成するということです。主の恵みがわたしたちにとって十分で... とりなしの祈り
とりなしの祈り 17日: 神を愛し、わたしたちの隣人を愛するように祈る 神が旧約の中で彼の民に与えたすべての言葉の中で、確かにこの二つに勝るものはありません。第一に、「心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くして、主であるあなたの神を愛しなさい」。偶像礼拝ではなく、唯一無二の方法で彼を愛してください。他の事柄はありま... とりなしの祈り
とりなしの祈り 14日: 互いに愛し合うことで実を結ぶように祈る わたしたちが実を結ぶための最上の方法は、キリストを自分のパースンまた命とすることによって、互いに愛し合うことです。福音の真の宣べ伝えは、交わりの中にある事柄です(ピリピ1:5)。なぜなら、それはからだの事柄であるからです。木の枝は、交わりの... とりなしの祈り
とりなしの祈り 13日: 兄弟愛の生活が回復するように祈る キリストのからだを有機的に建造するための召会生活は、兄弟愛の生活です。わたしたちは、世とその享楽を愛さないことによって、わたしたちの魂の命を失う必要があります。むしろ、兄弟愛の召会生活の中で愛としての神を受け入れ表現することが、わたしたちの... とりなしの祈り
とりなしの祈り 12日: 神聖な命の中で絶えず生きるように祈る もしわたしたちが神聖な愛を経験し、享受し、その愛によって他の人を愛そうとするなら、神聖な命の中で絶えず生きることによって、神を経験的に知る必要があります(Ⅰヨハネ2:3-6.ピリピ3:10前半)。 Ⅰヨハネ2:3 もし、わたしたちが彼の戒め... とりなしの祈り
とりなしの祈り 10日: 神の愛に満たされるために祈る 神はご自身の愛を、わたしたちに与えられた聖霊と共にわたしたちの心の中に注ぎ(ローマ5:5)、わたしたちの内側の動機づける力とならせました。それは、わたしたちがすべての患難の中で勝ち得て余りがあるためです。神の愛は、わたしたちのために永遠に働... とりなしの祈り
とりなしの祈り 9日: 互いに愛し合うように祈る 主イエスはヨハネ第13章において、彼の弟子たちの足を洗って、彼らを極みまで愛していることを示した後(1節)、また同じことを互いに愛の中で行なうよう彼らに命じられました(14節)。それから彼は次のように言いました、「わたしは新しい戒めをあなた... とりなしの祈り
とりなしの祈り 8日: わたしたちが毎日、 新鮮で霊的な経験を持つように祈る ですから、日ごとの足洗いは確かに、一方で主ご自身によって行なわれ、もう一方ですべての聖徒たちによって行なわれる必要があります。そのとき、わたしたちはすばらしい交わりを維持することができ、それをもって真の召会生活を持ちます。どうかわたしたちが... とりなしの祈り
とりなしの祈り 7日: 足洗いによって、召会生活が実際化されるように祈る 霊的な足洗いがなければ、召会生活は実際化されることができず、召会生活の実際はなくなります。他の人の足を洗うために、わたしたちは日ごとに聖霊で満たされ、絶えず主と交わり、ミングリングされた霊の中で生きなければなりません(エペソ5:18.3:1... とりなしの祈り
とりなしの祈り 6日: 自分の内側に言いようもない新鮮さ、力、養い、供給があるように祈る 言いようもない新鮮さ、力、養い、供給がわたしたちの内側になければなりません。人はわたしたちと一緒にいると、神を尋ね求めずにはいられなくなります。人はわたしたちと会い、わたしたちに語った結果、神を尋ね求めることを願うべきであり、彼らの霊的なエ... とりなしの祈り