2022-05

とりなしの祈り

8日: イエスをひたすら見つめるように祈る

わたしたちは、他のすべてのものから向きを変え、集中した注意力をもって、イエスをひたすら見つめることによって、クリスチャン生活を生き、レースを走ることができます。すばらしいイエス、すなわち、天で御座に着かれ、栄光と尊貴を冠として与えられている...
とりなしの祈り

7日: 重荷と、まといつく罪をかなぐり捨てるように祈る

ヘブル第12章1節の文脈における唯一のまといつく罪とは、故意の罪でした。それは、聖徒たちと共に集会することをやめること、神のエコノミーにおける新契約の道を捨てること、ユダヤ教に戻ることでした。重荷となる重いものと、まといつく罪は、いずれもヘ...
とりなしの祈り

6日: クリスチャンのレースを走るように祈る

クリスチャンの生涯はレースです。すべての救われたクリスチャンは、レースを走って、賞を勝ち取らなければなりません。この賞は、一般的な意味における救いではなく、特別な意味における褒賞です。使徒パウロはレースを走って、賞を勝ち取りました(Ⅰコリン...
とりなしの祈り

5日: 権威の祈りを祈る

権威の祈りは、何かを行なってくださるよう神に求めることではなく、神の権威を用い、この権威を適用して、問題や取り除かれるべき事柄を対処します。権威の祈りは、直接、神に求めることではなく、神の権威を直接、適用して、問題を対処することです。権威の...
とりなしの祈り

4日: 神のエコノミーにしたがって祈る時、すでに受けたと信じて祈る

もしわたしたちが自分の願いを満足させるものを主に求めるなら、求めたものを受けたと信じる神への信仰を持つことは決してできません。これは、わたしたちの祈りが、神のみこころにしたがった神のエコノミーを成就するためのものでないからです。もしわたした...
とりなしの祈り

3日: わたしたちの信仰としての神をもって祈る

マルコ第11章20節から24節において、主イエスは彼の弟子たちに、信仰によって祈り、神のみこころを執行するように教えました。祈る人が神とミングリングされ、神と一であるとき、神はその人の信仰となります。これは神への信仰を持つ(神を信じる)こと...
とりなしの祈り

2日: すべての事を神のエコノミーに沿って祈る

祈りに関する主の教えが神のエコノミーと関係があることを見ている人は多くありません。神のエコノミーは、神の忠信な民が神のみこころを行なうことによって完成されます。このような祈りをするために、わたしたちは神のみこころを行なう正しい人でなければな...
とりなしの祈り

1日: 神と相互に交流し接触するように祈る

わたしたちの信仰としての神をもって祈るために、わたしたちは祈りの意義を認識する必要があります。祈りとは、人と神の間の交流であり、人と神の間の相互の接触です。祈りの真の意義は、わたしたちの霊の中で神と接触し、神ご自身を吸収することです。祈る人...
タイトルとURLをコピーしました