25日:キリストの死をわたしたちの肉に絶えず適用するように祈る
まず、ヨルダンを渡るときに神が何を行なったかを見る必要があります。石は川底に残され、永遠にそこにとどまります。新しい石が反対側に運ばれました。神がこれをされたのです。わたしたちはこれを知り、認識し、認め、適用する必要があります。ここで割礼がやってくるのです。わたしたちは、ヨルダンを渡り、また霊を活用して肉を否むことによって、神が行なってくださったことに同意しなければなりません(ピリピ3:3、コロサイ2:11、ローマ8:13、ガラテヤ5:24)。
[2021年7月訓練 メッセージ3 ノートより]
ピリピ3:3
なぜなら、わたしたちこそ割礼の者であり、神の霊によって仕え、キリスト・イエスの中で誇り、肉を頼みとしていないからです.
コロサイ2:11
またあなたがたは、彼の中で、手によらない割礼をもって割礼されました.すなわちキリストの割礼の中で、肉の体を脱ぎ捨てました.
ローマ8:13
なぜなら、もし肉にしたがって生きるなら、あなたがたは死ななければならないからです.しかし、その霊によって体の行ないを死に渡すなら、あなたがたは生きます。
ガラテヤ5:24
しかし、キリスト・イエスのものである人たちは、肉をその情と欲と共に十字架につけてしまったのです。