9日:毎朝、御言葉に触れて神聖な実際がわたしたちの存在の中へと注入されるように祈る
毎朝、わたしたちは、書かれた御言の中で生ける御言に触れて、神聖な実際、すなわち、わたしたちの存在の中へと注入された、適用された言葉である手順を経た三一の神を持つことができます。神の要素がこのようにわたしたちの存在の中へと注入されることは、短気、ねたみ、憎しみ、高ぶりのような消極的な事物からわたしたちを解放します。それはわたしたちをあらゆる種類の虚偽から解放します。それには偽善も含まれます。そしてわたしたちは、真の解放、真の自由を持ちます(ヨハネ5:39-40.6:63.エペソ5:26)。
[2021年5月メモリアルデー特別集会 メッセージ2]
ヨハネ 5:39
あなたがたは聖書を調べている.なぜなら、その中に永遠の命があると思っているからである.しかし聖書は、わたしについて証しするのである。
ヨハネ 5:40
しかしあなたがたは、命を得るためにわたしに来ようとはしない。
ヨハネ 6:63
命を与えるのはその霊である.肉は何の役にも立たない.わたしがあなたがたに語った言葉は霊であり、命である。
エペソ 5:26
それはキリストが召会を聖化し、言葉の中の水の洗いによって召会を清めるためであり、