3日: パンさき集会に実際があるように祈る
ある典型的な主日の朝の集会において、どれだけ御父に対する真実を伴った礼拝があるでしょうか? 例えば、詩歌にそれほど頼らずに、十分または十五分の時間を取るとしましょう。わたしたちから何が出てくるでしょうか? 実際の証しとしての真実がそこにあるべきです。その真実は、わたしたちたちの中へと構成し込まれた真理です(ヨハネ4:24.ローマ3:7.15:8.Ⅱコリント11:10)。
[2021年5月メモリアルデー特別集会 メッセージ1 手話ノートより]
ヨハネ 4:24
神は霊であるから、彼を礼拝する者は、霊と真実の中で礼拝しなければならない」。
ローマ 3:7
しかし、もしわたしの偽りによって神の真実があふれて、彼の栄光になるとしたなら、なぜわたしも罪人として、なおも裁かれるのですか?
ローマ 15:8
わたしは言います.キリストが神の真実のために割礼の者のしもべとなられたのは、父祖たちに与えられた約束を確認するためであり、
Ⅱコリント 11:10
キリストの真実が、わたしの中にあります.このように誇ることは、アカヤの地域でわたしにあって止められることはないでしょう。