6日:からだの感覚を持つためにキリストをもっと享受するように祈る
わたしたちは召会生活を実行するとき、からだの感覚を持つ必要があります。わたしたちはからだの生活を持つために、からだに対する感覚で満ちていなければならず、かしらの感覚を自分自身の感覚としなければなりません。わたしたちは自己を否み、自分自身をからだに結合させるべきです。わたしたちはキリストを享受するなら、キリストのからだの感覚を持ちます(ローマ12:15.Ⅰコリント12:26.コロサイ2:16-17, 19)。
[2021年4月国際長老責任者訓練 メッセージ3]
ローマ12:15
喜ぶ人たちと共に喜び、泣く人たちと共に泣きなさい。
Ⅰコリ12:26
もし一つの肢体が苦しむなら、すべての肢体が共に苦しみます.もし一つの肢体が栄光を受けるなら、すべての肢体が共に喜びます。
コロ2:16
そういうわけで、食べることと飲むことについて、あるいは祭りや新月や安息日について、だれにもあなたがたを裁かせてはなりません.
コロ2:17
これらは来たるべき事柄の影であって、その本体はキリストにあります。
コロ2:19
かしらに結び付いていないのです.この方から、からだ全体は、節と筋によって豊かに供給され、結合され、神の増し加わりによって成長するのです。