25日: 主を絶対的に享受するように祈る

とりなしの祈り

神を尋ね求める者に対する神の意図は、彼らがキリストの中にあらゆるものを見いだし、彼ご自身を絶対的に享受することからそらされないことです。神のエコノミーにおける神の究極の願いは、わたしたちがキリストを生き、キリストを大きく表現し、キリストを獲得して、召会の中で彼に栄光を得させることです(ピリピ1:19-21前半.3:7-8)。

[2023年5月 メモリアルデー特別集会 メッセージ2]

 

ピリピ1:19

というのは、あなたがたの祈り求めることと、イエス・キリストの霊の満ちあふれる供給を通して、このことがわたしにとって救いとなることを知っているからです.

 

ピリピ1:20

そこで、わたしの切なる期待と希望は、わたしがどんな事にも恥じることなく、かえっていつものように、あらゆる事で大胆になって、生きるにも死ぬにも、今なおキリストが、わたしの体において大きく表現されることです。

 

ピリピ1:21

なぜなら、わたしにとって生きることはキリストであり、死ぬことは益であるからです。

 

ピリピ3:7

しかし、わたしにとって益であった事柄を、わたしはキリストのゆえに、損失と勘定するようになりました。

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