パウロの生活と働きのすべては、彼自身を表現するためではなく、彼の知識、能力、その他の功績や長所を表現するためでもありませんでした。彼が何であったか、また彼が何を行なったかは、キリストを表現するため、さらにはキリストを大きく表現するためでした(ピリピ1:20.3:3-10.4:22)。
[2023年3月国際長老責任者訓練 メッセージ4]
ピリピ3:3
なぜなら、わたしたちこそ割礼の者であり、神の霊によって仕え、キリスト・イエスの中で誇り、肉を頼みとしていないからです.
ピリピ3:7
しかし、わたしにとって益であった事柄を、わたしはキリストのゆえに、損失と勘定するようになりました。
ピリピ3:8
しかしさらに、わたしはまた、わたしの主キリスト・イエスを知る知識の卓越性のゆえに、すべての事を損失であると勘定します.その方のゆえに、わたしはすべての事で損失を被りましたが、それらをちりあくたと勘定します.それは、わたしがキリストを獲得するためであり、
ピリピ3:9
そして、キリストの中に見いだされるためです.それは、律法に基づくわたし自身の義を持つのではなく、キリストにある信仰を通しての義、すなわち、信仰に基づく神からの義を持って、