円熟は、度量が拡大されるという事柄です。命の成長は時間が必要です。度量が広げられる必要があります。主権の中で、人、事、ものが起こることが許されているのは、わたしたちを占有するものを取り除かれるためです。詩篇第4篇1節はこう言っています、「わたしが呼ばわるとき、わたしに答えてください.わが義なる神よ.窮地のとき、わたしに広がりを下さい.わたしに恵み深くあり、わたしの祈りを聞いてください。窮地の時に、広がりをください」。これは度量の拡大です。これは命の円熟です(Ⅱコリント1:8-10.創47:7, 10)。
[2023年2月国際華語特別集会 メッセージ2]
Ⅱコリント1:8
兄弟たちよ、アジアでわたしたちに降りかかった患難について、あなたがたに知らずにいてもらいたくありません.すなわち、わたしたちは極度に、耐えられないほどに圧迫されて、生きる望みをさえ失ったほどです。
Ⅱコリント1:9
実に、わたしたちは自ら、自分自身のうちに死という答えを持ちました.それは、わたしたちが自分自身に信頼するのではなく、死人を復活させる神に信頼するためでした.
Ⅱコリント1:10
この方は、あれほどの大きな死から、わたしたちを救い出してくださいました.また救い出してくださるでしょう.彼がこれからも救い出してくださると、わたしたちはこの方に望みを置いてきたのです.
創47:7
それから、ヨセフは父ヤコブを連れて来て、パロの前に立たせた.ヤコブはパロを祝福した。