特に新しい年へ変わる時に、時間を見つけ、時間を割き、時間を確保して、わたしたちの法理的な贖い主、また有機的な救い主の御前にいて、彼の目にわたしたちの内側で働きを行なっていただくようにと、わたしは特に励まします。あれやこれを行なうこと、ここやあそこに行くことに気を取られないようにしましょう。そうではなく、彼と共にとどまり、彼にわたしたちを見ていただきましょう。わたしたちは彼に照らしていただき、暴露していただき、裁いていただくべきです。わたしたちは自分の全存在のあらゆる部屋、ありとあらゆる場所、あらゆる部分を彼に開いて、言う必要があります、「主よ、わたしを見て、わたしの内を照らし、わたしをよく調べてください。わたしのあらゆる部分はあなたに開いています。わたしは何もとどめておきません。わたしはどの部分も閉ざしません」。彼にわたしたちを探り照らしていただくとき、その結果、正しい方法での多くの悔い改め、告白、罪定めがあるでしょう。しかし、これで終わりではありません。わたしたちがこのようにして主と共にいるとき、伝達と注入が始まるでしょう(ゼカリヤ3:9.4:7.啓1:14.5:6)。
[2022年12月 定期訓練 メッセージ4より]
ゼカリヤ3:9
見よ、これは、わたしがヨシュアの前に置いた石である.一つの石の上に七つの目がある。見よ、わたしはそれに彫り物を彫ると、万軍のエホバは告げられる.そしてわたしはその地の罪科を、一日のうちに取り除く。
ゼカリヤ4:7
大いなる山よ、あなたは何者か? ゼルバベルの前で、あなたは平地となる.そして彼は、恵みあれ、これに恵みあれと叫びながら、頂石を運び出す」。
啓示録5:6
わたしはまた、御座と四つの生き物の間、長老たちの間に、ほふられたばかりのような小羊が立っているのを見た.それには七つの角と七つの目があった.それは全地に遣わされた神の七つの霊である。