7日: 「わたしはある」に対する真の経験を持つように祈る

とりなしの祈り

主が「わたしはある」であると言うのは、彼がわたしたちの必要とするすべてであることを意味します。それは、あなたが自分に必要な金額を書き込んでもよい空白の小切手を持っているようなものです。あなたに光が必要なら、ただ光と書き入れると、主はあなたの光となられるでしょう。あなたに慰めが必要なら、主があなたの慰めとなられるでしょう。この種類の小切手は、決して不渡りということはありません。なぜなら、天の口座には預金不足ということが決してないからです。大胆に巨額を書き込みなさい。何を書き込むかはあなた次第です。主はあなたの必要とするすべてです。あなたが自分に実際に必要なものを書き入れることは、今やあなたの責任です。彼は大いなる「わたしはある」です(ヨハネ8:24、28、58)。

[2022年12月 定期訓練 メッセージ2より]

 

ヨハネ8:24

だから、あなたがたは自分の罪の内に死ぬと、わたしは言ったのである.あなたがたは、『わたしはある』を信じないなら、自分の罪の内に死ぬ」。

 

ヨハネ8:28

そこで、イエスは彼らに言われた、「あなたがたが人の子を上げてしまった時、『わたしはある』を知り、また、わたしが自分からは何も行なわず、わたしの父がわたしに教えられたとおりに、これらの事柄を語っていることを知るであろう。

 

ヨハネ8:58

イエスは彼らに言われた、「まことに、まことに、わたしはあなたがたに言う.アブラハムが存在する以前に、『わたしはある』」。

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