キリストを愛する者は、キリストの命の円熟の中でシュラムの女となります。このことが表徴するのは、彼女がキリストの複製また複写となって、彼にふさわしい者となり、彼と結婚するということです。聖書がわたしたちに繰り返し告げているのは、神の意図が、ご自身をわたしたちと一にし、またわたしたちを彼と一(神格においてではなく、命と性質において同じ)にすることであるということです。わたしたちはどのように神聖な啓示の最高峰(神が人と成ったのは、人を命と性質において神とするためである)に到達するかを考察するとき、自分自身に信頼するのではなく、愛、力、あわれみである主に依り頼むべきであり、また主にわたしたちをあわれみの器、尊い器、栄光の器としていただくべきです(雅6:13.8:5-6.啓21:2.22:17)。
[2022年11月サンクスギビング特別集会 メッセージ2 アウトラインより]
雅6:13
「帰れ、帰れ、シュラムの女よ.帰れ、帰れ、わたしたちはあなたを見たい」。「どうして、あなたがたはシュラムの女を見るのか? 二つの陣営の踊りを見るように」。
雅8:5
「自分の愛する方に寄りかかって、荒野から上って来る者はだれか?」。「わたしはりんごの木の下で、あなたを呼び覚ました.そこで、あなたの母はあなたのために産みの苦しみをした.そこで、あなたを産んだ者は産みの苦しみをした」。
雅8:6
「わたしをあなたの心に印のようにし、あなたの腕に印のようにしてください.愛は死のように強く、ねたみはシェオール[陰府]のように残酷だからです.そのきらめきは火のきらめき、エホバの炎です。
啓21:2
わたしはまた聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように整えられて、天から出て神から下って来るのを見た。