賛美となって現れるのは、信仰そのものではなく、信仰が試練を受け、試されることです。これは学生の勉学を試す学校の試験のようです。良しとされることが見いだされるのは試験であって、学生の勉学そのものではありません。わたしたちの信仰が試されることが積極的であるなら、その試すことはイエス・キリストの出現の時に、賛美と栄光と誉れという結果になります(Ⅰペテロ1:7-8.2:12.4:16)。
[2022年4月国際長老責任者訓練 メッセージ7 アウトラインより]
Ⅰペテロ1:7
あなたがたの信仰が試されることは、朽ちる金が火によって試されることよりもはるかに尊く、イエス・キリストの出現の時に、賛美と栄光と誉れとなって現れるのです.
Ⅰペテロ1:8
あなたがたは、その方を見たこともないのに愛しており、その方を今、見ていないのになお信じており、言葉では言い尽くせない、栄光に満ちた喜びをもって歓喜しています.
Ⅰペテロ2:12
また異邦人の間では、卓越した生活態度でありなさい.それは、彼らがあなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたの良い行ないを自分の目でよく見て、神の訪れの日に、神に栄光を帰すようになるためです。
Ⅰペテロ4:16
しかし、クリスチャンとしてであるなら、恥じてはなりません.むしろ、この名において神に栄光を帰しなさい。