信仰は聞くことから来ます。そして聞くことは、御言葉を宣べ伝えることから来ます。信仰の源は御言葉です。こういうわけで、わたしたちは御言の中へと入り込まなければなりません。わたしたちは御言の中へと入り込めば入り込むほど、ますます信仰を持ちます。そしてこの信仰は霊です。わたしたちは信仰の霊によって、わたしたちの信仰の源である御言を語ります。ここには循環があります。御言は信仰を生み出します。信仰は霊です。そしてこの霊によって、わたしたちは御言を語ることができます(ローマ10:14-17.Ⅱコリント4:13)。
[2022年4月国際長老責任者訓練 メッセージ5 アウトラインより]
ローマ10:14
それでは、その中へと信じたことのない方を、どのように呼び求めるのでしょうか? 聞いたことのない方を、どのように信じるのでしょうか? 彼を宣べ伝える者がいなくては、どのように聞くのでしょうか?
ローマ10:15
遣わされないのに、どのように彼を宣べ伝えるのでしょうか? 「福音の喜ばしいおとずれを告げ知らせる者の足は、何と麗しいことであろう!」と書かれているとおりです。
ローマ10:16
しかし、すべての人が福音に従ったのではありません.イザヤは言っています、「主よ、だれがわたしたちから聞いたことを信じましたか?」。
ローマ10:17
ですから、信仰は聞くことから来るのであり、聞くことはキリストの言葉によるのです。