11日: 人が恵みを見ることができる者となるように祈る

dailyprayer04 とりなしの祈り

手順を経た三一の神は、わたしたちが受け入れ享受する恵みであり、わたしたちの聖なる生活と召会の集会で表現されて、人が見ることができるものとなります。使徒行伝第11章23節はこう言っています、「彼は到着した時、神の恵みを見て喜んだ」。おお! これはすばらしい! 恵みは他の人に目に見えて見ることができます。多くの場合、わたしが、病気や弱さにある病院の聖徒を訪ねたり、家にいる聖徒を訪ねるとき、外見上、わたしは彼らを牧養して、彼らに恵みの言葉を与えているかのようです。しかし、わたしはしばしば、彼らの中からあふれるでる恵みを享受している人であると言うことができます。わたしは真に神の恵みを見てきました(使徒11:23、Ⅰペテロ2:20-21)。

[2022年2月国際華語特別集会 メッセージ4 ノートより]

 

使徒11:23

彼は到着した時、神の恵みを見て喜んだ.そして、心に決意して主にとどまるようにと、彼らをみな励ました.

 

Ⅰペテロ2:20

あなたがたが罪を犯して打ちたたかれ、それを耐え忍んだとしても、何の誉れがあるでしょうか? しかし、あなたがたが善を行なって苦しみ、耐え忍ぶとしたら、これは神と共にある恵みです。

 

Ⅰペテロ2:21

あなたがたが召されたのはこのためです.なぜなら、キリストもあなたがたのために苦しみを受け、あなたがたが彼の足跡に従うようにと、原型を残されたからです.

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