2日: 外なる人が砕かれるように祈る

とりなしの祈り

ダビデの生涯は、砕かれることの生涯を表徴します。外なる人が砕かれることは、わたしたちの天然の性情、すなわち自己が砕かれることです。聖霊の管理の目標は、わたしたちが砕かれた人になることです。神はわたしたちを、完全な不能と無力との場所に置きます。それによって彼は自由な道を持って、彼ご自身と彼の計り知れない豊富すべてをわたしたちの中へと造り込むことができます(Ⅱコリント1:8-9、4:16-18)。

[2021年12月訓練 メッセージ6 アウトラインより]

 

Ⅱコリ1:8

兄弟たちよ、アジアでわたしたちに降りかかった患難について、あなたがたに知らずにいてもらいたくありません.すなわち、わたしたちは極度に、耐えられないほどに圧迫されて、生きる望みをさえ失ったほどです。

 

Ⅱコリ1:9

実に、わたしたちは自ら、自分自身のうちに死という答えを持ちました.それは、わたしたちが自分自身に信頼するのではなく、死人を復活させる神に信頼するためでした.

 

Ⅱコリ4:16

こういうわけで、わたしたちは落胆しません.それどころか、わたしたちの外なる人が朽ちていっても、わたしたちの内なる人は、日ごとに新しくされていきます。

 

Ⅱコリ4:17

なぜなら、わたしたちの受けるつかの間の軽い患難は、ますます卓越した永遠の重い栄光を、わたしたちにもたらすからです.

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