26日: 日ごとに注ぎの血によって、なだめの蓋としてのキリストに来て、神と会い、神に語っていただくように祈る

とりなしの祈り

キリストはまた、彼の神性の輝きと彼の人性の贖いを持つなだめの蓋でもあります。それは、わたしたちが神の御前でなだめを享受する場所であり、またわたしたちがわたしたちの義で、聖で、栄光の神と会って交わり、彼を恵みとして受けることのできる場所です。「ささげ物は外庭の祭壇でささげられました。それはわたしたちの贖いのための十字架の予表です。わたしは救われた日から、それを評価しています。その血の一部は至聖所にもたらされ、契約の箱の前で、蓋の上に七回振りかけられました。これが示しているのは、血が入るためであるということです。それは赦しのためだけではありません。それは入るためです。ですから、兄弟姉妹、進み出ましょう」(出25:22、ローマ3:25、ヘブル4:16、12:24)。

[2021年12月訓練 メッセージ4 アウトラインとノートより]

 

出エジプト25:22

わたしはそこであなたと会い、罪を覆う蓋の上から、すなわち証しの箱の上にある二つのケルビムの間から、イスラエルの子たちに対してあなたに命じるすべてのことについて、あなたと語る。

 

ローマ3:25

神はこのキリスト・イエスを立てて、なだめの場所とされました.それは彼の血により、信仰を通してであって、彼の義を明らかに示すためです.すなわち、人が以前に犯した罪を、神は寛容をもって過ぎ越されましたが、

 

ヘブル4:16

ですから、わたしたちがあわれみを受け、また時機を得た助けとなる恵みを見いだすために、大胆に、恵みの御座に進み出ようではありませんか。

 

ヘブル12:24

新しい契約の仲保者イエスに、アベルの血にまさって語る注ぎの血に来ているのです。

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