わたしたちが見たこともない方を愛しているのは、信じているゆえです。すなわち、生ける言葉を聞くことを通してわたしたちの中へと注入された、信仰のゆえです。愛は、わたしたちがキリストを評価することと関係があります。そのように評価することなしに、信仰は働くことができません―信仰を聞くことは、愛するという評価を引き起こします。わたしたちが主を愛すれば愛するほど、ますます信仰は働き、すべてを含む霊の豊富の中へとわたしたちをもたらします(ガラテヤ3:2、3:5、5:6、ローマ10:17)。
[2021年10月国際長老責任者訓練 メッセージ3 アウトラインより]
ガラテヤ3:2
ただこのことを、わたしはあなたがたから知りたいのです.あなたがたがその霊を受けたのは、律法の行ないに基づいているのですか、それとも信仰を聞くことに基づいているのですか?
ガラテヤ3:5
それでは、彼があなたがたにその霊をあふれるばかりに供給し、あなたがたの間で力あるわざを行なっておられるのは、律法の行ないに基づいているのですか、それとも信仰を聞くことに基づいているのですか?
ガラテヤ5:6
なぜなら、キリスト・イエスにあっては、割礼も無割礼も何の効力もなく、ただ愛を通して働く信仰だけが、効力があるからです。
ローマ10:17
ですから、信仰は聞くことから来るのであり、聞くことはキリストの言葉によるのです。