つかの間の軽い患難は、ますます卓越した永遠の重い栄光をもたらします。ここに対比があります。「軽い」に対して「重い」があり、「患難」に対して「栄光」があります。わたしたちが経過しているすべての事は、神が彼ご自身を永遠の重い栄光として分与することです。見えるものは一時的ですが、見えないものは永遠であるからです。わたしが強調したいのは、わたしたちが神の永遠のエコノミーの見えない領域の中にいるということです(Ⅱコリント4:16-18.Ⅰペテロ1:8)。
[2021年9月全国特別集会 メッセージ1 ノートより]
Ⅱコリ4:16
こういうわけで、わたしたちは落胆しません.それどころか、わたしたちの外なる人が朽ちていっても、わたしたちの内なる人は、日ごとに新しくされていきます。
Ⅱコリ4:17
なぜなら、わたしたちの受けるつかの間の軽い患難は、ますます卓越した永遠の重い栄光を、わたしたちにもたらすからです.
Ⅱコリ4:18
わたしたちは見えるものにではなく、見えないものに目をとめます.なぜなら、見えるものは一時的ですが、見えないものは永遠であるからです。
Ⅰペテ1:8
あなたがたは、その方を見たこともないのに愛しており、その方を今、見ていないのになお信じており、言葉では言い尽くせない、栄光に満ちた喜びをもって歓喜しています.