3日:落胆しない神・人の生活をするように祈る

とりなしの祈り

つかの間の軽い患難は、ますます卓越した永遠の重い栄光をもたらします。ここに対比があります。「軽い」に対して「重い」があり、「患難」に対して「栄光」があります。わたしたちが経過しているすべての事は、神が彼ご自身を永遠の重い栄光として分与することです。見えるものは一時的ですが、見えないものは永遠であるからです。わたしが強調したいのは、わたしたちが神の永遠のエコノミーの見えない領域の中にいるということです(Ⅱコリント4:16-18.Ⅰペテロ1:8)。

[2021年9月全国特別集会 メッセージ1 ノートより]

 

Ⅱコリ4:16

こういうわけで、わたしたちは落胆しません.それどころか、わたしたちの外なる人が朽ちていっても、わたしたちの内なる人は、日ごとに新しくされていきます。

 

Ⅱコリ4:17

なぜなら、わたしたちの受けるつかの間の軽い患難は、ますます卓越した永遠の重い栄光を、わたしたちにもたらすからです.

 

Ⅱコリ4:18

わたしたちは見えるものにではなく、見えないものに目をとめます.なぜなら、見えるものは一時的ですが、見えないものは永遠であるからです。

 

Ⅰペテ1:8

あなたがたは、その方を見たこともないのに愛しており、その方を今、見ていないのになお信じており、言葉では言い尽くせない、栄光に満ちた喜びをもって歓喜しています.

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