9月10日 日ごとのパン

dailyfood01 日ごとのパン

Ⅰコリント2:9-10, 9節のノート1, 3

「このように書かれているとおりです、『目が見たこともなく、耳が聞いたこともなく、人の心に思い浮かんだことのないものを、神はご自身を愛する者たちのために備えてくださった』」。

目が見ることのできる範囲は狭いです。耳が聞くことのできる範囲はそれよりも広いです。心が理解することのできる範囲には限界がありません。神は彼の知恵の中で(すなわち、キリストの中で)、わたしたちのために、深く隠された多くの事柄を定め、備えてくださいました。例えば、義認、聖別、栄光化などです。これらすべてを、人の目は見たこともなく、人の耳は聞いたこともなく、人の心は理解したこともありません。
神がわたしたちのために定め、備えられた深く隠された事柄を認識し、それにあずかるために、わたしたちは彼を信じるだけでなく、彼を愛することが必要です。神を畏れ、神を礼拝し、神を信じる(すなわち神を受け入れる)ことだけでは不十分です。彼を愛することが、不可欠の条件です。神を愛するとは、わたしたちの全存在―霊、魂、体を、心、魂、思い、力と共に(マルコ十二・三〇)――完全に彼の上に置くことです。これは、わたしたちの全存在を彼に占有していただき、わたしたちが彼の中で失われることです。その結果、彼がわたしたちのすべてとなられ、わたしたちは日常生活の中で、実際的に彼と一になります。このようにして、わたしたちは神と最も近く、最も親密な交わりを持ちます。そして、わたしたちは神のみこころの中に入って、心の秘密をすべて理解することができます(詩七三・二五、二五・十四)。こうして、神のこれらの深く隠された事柄を認識し、経験し、享受し、十分にあずかるのです。

<抜粋>パンと魚

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