ヨハネ7:38-39, 39節のノート1
「『わたしの中へと信じる者は、聖書が言っているように、その人の最も内なる所から、生ける水の川々が流れ出る』。イエスはこれを、彼の中へと信じる者たちが受けようとしているその霊について言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、その霊はまだなかったからである」。
神の霊は初めからありました(創一・一―二)が、「その霊」、すなわち、キリストの霊(ローマ八・九)、イエス・キリストの霊(ピリピ一・十九)は、主がこの言葉を語られた時には、まだありませんでした。なぜなら、主はまだ栄光を受けておられなかったからです。イエスが栄光を受けたのは、彼が復活された時です(ルカ二四・二六)。イエスの復活の後、神の霊は、受肉し、十字架につけられ、復活して、イエス・キリストの霊と成りました。キリストが復活した日の夕方、その霊は、彼によって弟子たちの中に息を吹き込まれました(ヨハネ二〇・二二)。その霊は、今や「別の慰め主」、キリストが死ぬ前に約束された実際の霊です(十四・十六―十七)。この霊が神の霊であった時、彼には神聖な要素があるだけでした。彼がキリストの受肉、十字架、復活を通して、イエス・キリストの霊と成られた時、その霊は、神の要素と人の要素の両方、それにキリストの受肉、十字架、復活のすべての本質と実際を含んでいました。ですから、その霊は今や、すべてを含むイエス・キリストの霊であり、それがわたしたちの受ける生ける水です(七・三八―三九)。
<抜粋>パンと魚