へブル2:14-18, 17節のノート1, 2, 4
「こういうわけで、子供たちが血と肉にあずかっているので、同様に彼ご自身も同じものにあずかられたのです。それは、彼が死を通して、死の権能を持つ者、すなわち悪魔を滅ぼすためであり、また死の恐怖のゆえに一生涯、奴隷とされていた者たちを解放するためです。確かに神は、御使いたちを助けるのではなく、アブラハムの子孫を助けられます。こういうわけで、彼はすべての事で、彼の兄弟たちのようにならなければなりませんでした。それは、彼が神にかかわる事柄において、あわれみ深い、忠信な大祭司となって、民の罪のために、なだめをなすためです。というのは、彼ご自身が試みられて苦しまれたので、試みられている者たちを、助けることができるからです」。
神の御子は、わたしたち、彼の兄弟たちのようになって、血と肉にあずかられました(ヘブル二・十四)。これには二つの目的があり、一つは消極的で、一つは積極的です。消極面での目的は、わたしたちのために肉の中の悪魔を滅ぼすことです。積極面での目的は、彼が人の性質を持って、あわれみ深い、忠信な大祭司となり、あらゆる事柄でわたしたちに同情することです。
キリストは大祭司として、神ご自身と神聖な命の豊富をわたしたちに供給されます。神・人として、彼はわたしたちの大祭司として十分な資格があります。ここで、「あわれみ深い」は彼が人であることに符号し、「忠信な」は彼が神であることに符号します。イエスはわたしたちの罪のためになだめをなして、神の義の要求を満たし、わたしたちと神との関係を和らげました。それは、神が平和のうちに、わたしたちに恵み深くあるためです。
<抜粋>パンと魚