啓示録3:20-21, 20節のノート2, 21節のノート1, 2
「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸を開くなら、わたしは彼の所に入って行き、彼と共に食事をし、彼はわたしと共に食事をするであろう。勝利を得る者を、わたしと共にわたしの座に着かせよう。それは、わたしが勝利を得て、わたしの父と共にその御座に着いたのと同じである」。
ここの「戸」は召会の戸です。しかし戸は、個人の信者によって開けられます。ラオデキヤに在る召会には知識はありますが、主の臨在がありません。主は全召会を取り扱っておられます。しかし、主の取り扱いを受け入れるのは、個人の事でなければなりません。主の取り扱いは客観的ですが、信者が受け入れることは、主観的でなければなりません。
啓示録第三章二一節の勝利を得るとは、後退した回復の召会のなまぬるさと高ぶりに打ち勝つこと、代価を払って必要なものを買うこと、戸を開けて主を迎え入れることです。
主と共に彼の御座に着くことは、勝利者に対する褒賞であって、それは来たるべき千年王国で主の権威にあずかり、主と共に王となり、全地を支配することです。
<抜粋>パンと魚