ガラテヤ3:27
「なぜなら、キリストの中へとバプテスマされた者はみな、キリストを着たからです」。
27節のノート
信じるとは、キリストの中へと信じることであり(ヨハネ三・十六)、バプテスマされるとは、キリストの中へとバプテスマされることです。信仰とバプテスマによって、わたしたちはキリストの中へと入り、こうしてキリストを着て、キリストに結合されて一となりました。正しく、純粋に、生きた方法で実行されたバプテスマは、信者を三一の神の名、神聖な名の中へと入れます(マタイ二八・十九)。すなわち、キリスト、生けるパースンの中へと(ガラテヤ三・二七)、キリストの死、効き目ある死の中へと(ローマ六・三)、キリストのからだ、生ける有機体の中へとです(Ⅰコリント十二・十三)。それは信者が、キリストとの有機的結合だけでなく、彼のからだとの有機的結合の中へと入るためです。さらに、バプテスマは信者を、彼らの古い状態から新しい状態へともたらし、古い命を終わらせて、キリストの新しい命をもって発芽させます。それは彼らが、三一の神の要素によって、キリストのからだ、有機体の中に生きるためです。
<抜粋>パンと魚