マタイ5:14-16, 14節のノート1, 3, 15節のノート1, 16節のノート2
「あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。人はともし火をともして、それを升の下に置くことはしない。むしろ、燭台の上に置いて、家の中にいるすべての人を照らす。同じように、あなたがたの光を人々の前に輝かせなさい。それは、彼らがあなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父に栄光を帰すためである」。
光は暗やみの中にある人を照らすともし火の輝きです。暗い世にとって、天の王国の民はそのような光であり、世の暗黒を取り去ります。彼らは、性質においてはいやす塩であり、振る舞いにおいては輝く光です。
王国の民は輝く光として、山の上にある町、隠れることができない町のようです。彼らは聖なる都、新エルサレムにおいて、究極的に完成されます(啓二一・十―十一、二三―二四)。
「升」は穀物を量るための器具です。ともし火が升の下に置かれていれば、その光は何も照らすことはできません。ともし火である王国の民は、食物と関係のある升によって覆われるべきでありません。升は食物に関係しており、食物に関心を持つことは、人を憂えさせます(マタイ六・二五)。
父なる神に栄光を帰すとは、彼に栄光を与えることです。栄光は表現された神です。王国の民がその振る舞いと良い行ないにおいて神を表現する時、人々は神を見て、神に栄光を帰します。
<抜粋>パンと魚