3月8日 日ごとのパン

dailyfood01 日ごとのパン

ローマ4:4-5

「さて働く者に対する賃金は、恵みとしてではなく、当然支払われるべきものとして勘定されます。しかし、働きがなくても、不敬虔な者を義とする方を信じる者は、彼の信仰が義と勘定されるのです」。

天然の人は常に、報酬(賃金)を受けようとして、神のために働きます。天然の人には、何の恵みも、信仰も、享受もありません。
神の義認は、わたしたちの良いわざ(労働)に対する報酬(賃金)ではありません。それはキリストの贖いを通して、わたしたちに無代価で与えられる恵みです。もし神の義認がわたしたちの良いわざに基づいているとしたら、あるいは、それがわたしたちの良いわざを要求するとしたら、それは、わたしたちが自分の良いわざに対して受け取る賃金となります。すなわち、それはわたしたちが当然得るべきものであって、神が無代価で与えられるものではありません。神の義認は、神の恵みによると認められるのですから、それはもはや行ないによるのではありません。そうでないと、恵みはもはや恵みではなくなります(ローマ十一・六)。わたしたちの行ないは、決して神の恵みに置き換わることはできません。神の恵みは絶対的でなければなりません。

<抜粋>パンと魚

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