ヨハネ10:7, 9, 9節のノート1, 2
「そこで、イエスは再び彼らに言われた、『まことに、まことに、わたしはあなたがたに言う。わたしは羊の門である……わたしは門である。だれでもわたしを通って入る者は救われ、また入ったり出たりして、牧場を見いだす』」。
キリストは、旧約の時代には、モーセ、ダビデ、イザヤ、エレミヤなど、神の選ばれた者たちが、キリストの来られる前に律法の管理の中に入るための門であっただけでなく、ペテロ、ヨハネ、ヤコブ、パウロなどの神の選びの民が、キリストの来られた後、律法の囲いから出て来るための門でもあります。ですから主はここで、彼は神の選びの民が入るための門であっただけでなく、神の選びの民が外へ出るための門でもあることを示しておられます。
ここの「牧場」は、羊を養う場所としてのキリストを象徴します。牧場が利用できない時(例えば、冬の期間や夜間)には、羊は囲いの中で守られなければなりません。牧場の用意ができると、羊はもはや囲いの中にとどまっている必要はありません。囲いの中に保たれているのは過渡的であり、一時的です。牧場にいて、その豊富を享受することは最終的であり、永久です。キリストが来られる前は、律法は後見人であって、律法の下にいることは過渡的でした。今や、キリストが来られたからには、神の選びの民はみな律法から出て、彼の中に入り、彼を彼らの牧場として享受しなければなりません。これは最終的であり、永久であるべきです。ユダヤ教の指導者たちは、そのような啓示がなかったために、ユダヤ教が基としていた律法を、永久のものと考えました。その結果、彼らはキリストを見失い、牧場としての彼にあずかることはできませんでした。
<抜粋>パンと魚