Ⅱテモテ4:7-8, 8節のノート2, 5
「わたしは良い戦いを戦い抜き、行程を走り終え、その信仰を守り通しました。今からは、義の冠がわたしのために用意されているのです。かの日には、義なる審判者である主が、それをわたしに授けてくださいます。わたしだけではなく、主の出現を慕ってきたすべての人にも授けてくださいます」。
栄光の表徴である冠は、主の救いに加えて、レースの勝者に賞として与えられます(Ⅰコリント九・二五)。この賞は、義により、働きを通してであって(マタイ十六・二七、啓二二・十二、Ⅱコリント五・十)、救いのように、恵みにより、信仰を通してではありません(エペソ二・五、八―九)。そのような褒賞が信者たちに与えられるのは、主の恵みにしたがってではなく、主の義にしたがってです。ですから、それは義の冠です。褒賞を与える方は、義なる審判者としての主です。パウロは、そのような賞が自分のために取って置かれていること、それが主の二度目の出現の日に授けられることを、確信していました。
主の出現、主の再来は、わたしたちに対する警告、励まし、奨励です。わたしたちはそれを愛し、切なる期待と喜びをもって待ち望むべきです。
<抜粋>パンと魚