啓示録21:2-3, 2節のノート1
「わたしはまた聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように整えられて、天から出て神から下って来るのを見た。そして、御座から大きな声がこう言うのを聞いた、『見よ、神の幕屋が人と共にある。神は彼らと共に幕屋を張り、彼らは神の民となり、神自ら彼らと共にいて、彼らの神となられるであろう』」。
啓示録の啓示はしるしで構成されています。啓示録の重大な事柄の深遠さのゆえに、人が単に言葉で言うのは難しいのです。ですから、これらすべての事柄は、しるしによって象徴され、描写されています。最後で最大のしるしが新エルサレムです。これは、あらゆる世代にわたって、神の贖われ、再生され、造り変えられ、栄光化された、すべての聖徒たちの構成を象徴します。それは物質的な、命のない都ではなく、花嫁としての団体的な生けるパースンであり、すばらしいパースン、キリストを夫として持っています。
新エルサレムは、すべての世代にわたって神に贖われたすべての聖徒から成る、生ける構成体です。それは、キリストの配偶者としての彼の花嫁であり(ヨハネ三・二九)、神の住まい、神の幕屋としての神の聖なる都です(啓二一・三)。これは、天のエルサレムであり(ヘブル十二・二二)、神がわたしたちのために備えてくださり、アブラハム、イサク、ヤコブが切望したものです(十一・十、十六)。これはまた上なるエルサレム、わたしたちの母なるエルサレムです(ガラテヤ四・二六)。キリストの花嫁としての新エルサレムは、夫であるキリストから出て来て、彼の配偶者となります。それは、エバが夫アダムから出て来て、彼の配偶者になったのと同じです(創二・二一―二四)。彼女はキリストの命と性質の豊富にあずかることによって整えられます。神の聖なる都として、新エルサレムは、全面的に神へと聖別され、神の聖なる性質で完全に浸透されて、彼の住まいとなります。
旧約と新約の両方で、神は選びの民を配偶者、またご自身の住まいにたとえておられます。配偶者は愛における神の満足のためであり、住まいは表現における彼の安息のためです。これらの面はいずれも、新エルサレムにおいて究極的に成就します。彼女において、神は愛における最高の満足と、表現における最高の安息を、永遠にわたって持たれます。
<抜粋>パンと魚