ローマ人への手紙3:24, 24節のノート2, 3
「価なしに、彼の恵みにより、キリスト・イエスにある贖いを通して、義とされるからです」。
キリストがわたしたちの罪のために代価を払い、彼の贖いにおいて、わたしたちに対する神のすべての要求を満たされたからには、神は義であられるので、わたしたちを価なしに義としなければなりません。そのような義認は、神の恵みによるのであって、わたしたちの行ないによるのではありません。
「贖い」とは、代価を払って買い戻すことです。わたしたちはもともと神に属していましたが、罪のゆえに失われました。神の聖、義、栄光の要求が、わたしたちにとってあまりにも大きかったので、わたしたちがそれを満たすことは不可能でした。しかしながら、神はキリストを通してわたしたちのために代価を払い、大変な犠牲をもって、わたしたちを再び所有されました。キリストは十字架で死んで、わたしたちを贖ってくださいました(ガラテヤ三・十三、テトス二・十四、Ⅰペテロ二・二四、三・十八)。彼の血はわたしたちのために、永遠の贖いを獲得しました(Ⅰペテロ一・十八―十九)。
<抜粋>パンと魚