Ⅰコリント 3:11-12, 14, 11節のノート1, 12節のノート1
「なぜなら、据えられている土台のほかに、だれも他の土台を据えることはできないからです。この土台は、イエス・キリストです。ところが、その土台の上に、人が金、銀、宝石、木、草、刈り株をもって建てるなら……もし、その土台の上に建てた人の働きが残るなら、彼は褒賞を受けます」。
主イエスはキリストであり、生ける神の子です。彼は召会を建造するために、神によって据えられた唯一の土台です(マタイ十六・十六―十八)。このほかに、だれも他の土台を据えることはできません。
土台は唯一です。しかし、異なる建築者が異なる材料を使うのであれば、建物は異なるでしょう。コリントの信者たちはみな、キリストを土台として受け入れました。ところが、彼らの間の何人かのユダヤ人信者は、ユダヤ教の成就したものを用いて、召会を建造しようとしました。また何人かのギリシャ人信者は、彼らの哲学的知恵を用いようとしました。彼らは使徒たちのように、キリストについての卓越した知識と豊富な経験を用いて、召会を建造しませんでした。この書簡での使徒の意図は、生まれながらの背景のものを用いて召会を建造しないようにと、信者たちに警告することでした。彼らはパウロのように、客観的知識と主観的経験のキリストをもって建造することを、学ばなければなりません。
<抜粋>パンと魚