ヨハネによる福音書 14:25-26, 26節のノート1, 2
「わたしはこれらの事を、あなたがたと共に住んでいる間に、あなたがたに話してきた。しかし慰め主、すなわち、父がわたしの名の中で遣わされる聖霊は、あなたがたにすべての事を教え、またわたしがあなたがたに言ったすべての事を思い起こさせてくださる」。
「慰め主」、聖霊は、御父によって御子の名の中で遣わされました。ですから聖霊は、御父によっても、御子によっても遣わされました。こうして、聖霊は御父からだけでなく、御子からも来て、御父の実際となり、御子の実際ともなられます。こういうわけで、わたしたちが御子の名を呼び求める時、その霊を得るのです(Ⅰコリント十二・三)。
「父が子の名の中にある」とは、御父が御子であることと同じです。ですから、御父が御子の名の中で聖霊を遣わすとは、御子が御父から聖霊を遣わすことです(ヨハネ十五・二六)。御子と御父は一つです(十・三〇)。こうして、遣わされたその霊は、御父からだけでなく(十五・二六)、御子からも来られます。さらに、その霊が来る時、彼は御父と御子と共に来られます。これは、御父、御子、その霊が、ひとりの神、三一の神であって、わたしたちに届き、彼の神聖な三一の中で、ご自身をわたしたちの中へと造り込み、分与して、わたしたちの命またすべてとなられることを証明します。
<抜粋>パンと魚