マタイ5:46-48, 48節のノート1
「あなたがたは、自分を愛する者を愛したからといって、どんな褒賞を受けるのだろうか? 取税人でさえ、同じことをしているではないか? あなたがたは、自分の兄弟にだけあいさつしても、何かさらにすぐれた事をしているのだろうか? 異邦人でさえ、同じことをしているではないか? だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全でありなさい」。
王国の民が天の父のように完全であるとは、御父の愛において完全であることです。彼らは御父の子供たちであり、御父の神聖な命と神聖な性質を持っています。ですから、彼らは御父のように完全になることができるのです。王国の新しい律法の要求は、旧経綸の律法の要求よりはるかに高いものです。この高い要求は、御父の神聖な命によってはじめて果たされるのであって、決して 彼らの天然の命によって成就されることはありません。天の王国は最高の要求です。そして父の神聖な命は、その要求を満たす最高の供給です。福音書は、まずマタイによる福音書で、天の王国の最高の要求を提示し、最後にヨハネによる福音書で、天の父の神聖な命の最高の供給をわたしたちに与えます。それは、わたしたちが天の王国の最高の命を生きるためです。マタイによる福音書第五章から第七章の王国の新しい律法の要求は、再生された王国の民の新しい命、神聖な命の内側からの表現です。この要求は、再生された民の内なる存在を全開することによって、彼らがそんなにも高い程度に達することができ、そんなにも高い生活を持つことができるということを、彼らに見せるのです。
<抜粋>パンと魚