5月18日 日ごとのパン

dailyfood01 日ごとのパン

へブル9:11-12, 12節のノート1, 2

「しかし、キリストが来て、すでに臨んでいるすばらしい事柄の大祭司となられ、手で造られたのではない、すなわち、この創造に属するものではない、さらに大いなる、さらに完全な幕屋を通して、やぎや子牛の血を通してではなく、ご自身の血を通して、一度限り至聖所へと入り、永遠の贖いを獲得されたのです」。

キリストは十字架上で贖いを達成されました(コロサイ一・二〇)が、彼が贖いの血を通して天の至聖所へ入った時、すなわち、その贖いの血を神の御前へささげた時はじめて、永遠に効力のある贖いを獲得されました。旧契約では、やぎや子牛の血は、民の罪のなだめとなっただけで(レビ十六・十五―十八)、決して罪の贖いを達成しませんでした。なぜなら、雄牛とやぎの血は、罪を取り除くことができないからです(ヘブル十・四)。ヘブル語では、なだめという言葉の語根は覆うを意味します。ですから、なだめの意味は罪を覆うことであって、罪を取り除くことではありません。神の小羊としてのキリストが、十字架上でいけにえとして、罪のために一度限りご自身をささげることによって(九・十四、十・十二)世の罪を取り除かれたので(ヨハネ一・二九)、彼が天の幕屋で注いだ血は(ヘブル十二・二四)、わたしたちのために永遠の贖いを達成しました。それは、以前は動物の血によって覆われたにすぎない、初めの(古い)契約の下での違犯の贖い(九・十五)も含んでいました。こうして、わたしたちはキリストの尊い血で贖われました(Ⅰペテロ一・十八―十九)。

<抜粋>パンと魚

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