4月29日 日ごとのパン

dailyfood01 日ごとのパン

啓示録21:22-23, 22節のフットノート1, 23節のノート1, 2

「わたしはその中に宮を見なかった。主なる神、全能者と小羊が、その宮だからである。都の中では、太陽も月も輝く必要がない。神の栄光がそれを照らし、小羊がそのともし火だからである」。

旧約で、神の幕屋は神の宮の前身でした。神の幕屋としての新エルサレム(啓二一・三)は、神の宮です。これは、新天新地で神の宮が拡大されて、一つの都になることを示します。その都の三つの寸法が等しいのは(十六節)、都全体が至聖所、内なる宮であることを示します。ですから、それには宮がないのです。
「宮」は、ギリシャ語は内なる宮を意味します。この内なる宮が、主なる神、全能者と小羊です。それは、神と小羊ご自身が、わたしたちの神に仕える場所であることを象徴します。神の幕屋としての聖なる都は、神が住まわれるためであり、宮としての神と小羊は、贖われた聖徒たちが住むためです。新天新地では、新エルサレムは神と人の両方が、永遠にわたって相互に住み合う所です。
千年期では、日と月の光は増強されます(イザヤ三〇・二六)。しかし新天新地の新エルサレムでは、太陽も月も輝く必要がありません。太陽と月は新天新地でもありますが、その輝きは、新エルサレムでは必要がありません。なぜなら神、神聖な光が、はるかに明るく輝くからです。
ともし火としての小羊は、光としての神と共に輝き、神聖な光の表現、神の栄光をもって都を照らします。そのような神聖な光が聖なる都を照らすので、その都は、神によって創造されたものであろうと、人によって作られたものであろうと、他のどのような光も必要としないのです(啓二二・五)。

<抜粋>パンと魚

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