ピリピ2:5-6, 5節のノート1, 6節のノート3
「キリスト・イエスの中にあったこの思いを、あなたがたの内側でも思いとしなさい。この方は、神の形の中に存在されますが、神と等しくあるのを固守すべき尊いこととは見なさず」。
あなたがたの内側でも思いとすべき「この思い」は、ピリピ人への手紙第二章三節の「思いなさい」と、四節の「目をとめなさい」を示します。このような考え、このような思いは、キリストがご自身をむなしくし、奴隷の形を取り、ご自身を低くして、人としての有り様で見いだされた(七―八節)時に、キリストの中にもありました。そのような思いを持つために、わたしたちは、キリストの心の中で彼と一つである必要があります(一・八)。キリストを経験するために、わたしたちはそのような程度にまで、すなわち彼の優しい心の感覚と思いの中で、彼と一つである必要があります。
主は神と等しかったのですが、彼は神と等しくあることを、固守すべき尊いこととは見なされませんでした。むしろ、彼は神の形(神の性質ではない)を脱ぎ、ご自身をむなしくして、奴隷の形を取られました。
<抜粋>パンと魚