ピリピ2:12, 12節のノート3, 4
「そういうわけで、わたしの愛する人たちよ、あなたがたがいつも従順であったように、わたしが一緒にいる時だけでなく、わたしがいない今はなおさら、恐れとおののきをもって、あなたがた自身の救いを成し遂げなさい」。
わたしたちは神の救いを受けました。この救いは、主イエスがそうであられたように、その絶頂として、栄光の中で、神によって高く引き上げられなければなりません(ピリピ二・九)。わたしたちは、恐れとおののきをもって、変わらない絶対的な従順によって、この救いを遂行し、それを究極の結末にもたらす必要があります。わたしたちはこの救いを、信仰によって受けました。今やそれを、従順によって遂行しなければなりません。その従順は、わたしたちの魂の中の本物の一つを含みます(二節)。この救いを信仰によって受けることは、一度限りです。それを遂行するのは、生涯のことです。
ここの救いは、神の罪定めや、火の池からの永遠の救いではなく、日ごとの救いであって、これは生けるパースンです。この日ごとの救いは、わたしたちが生き、経験し、享受しているキリストを、外側でも内側でも模範とした結果です。この救いの主要な要素は、十字架につけられた命としてのキリスト(五―八節)、高く引き上げられたキリストです(九―十一節)。このパターンが、信者の内なる命となる時、彼らの救いとなります。
<抜粋>パンと魚