啓示録3:18, 18節のノート2-4, 1
「わたしはあなたに勧める。あなたが富むために、火で精練された金をわたしから買いなさい。またあなたがまとって裸の恥を現さないために、白い衣を買いなさい。また見えるようになるために、目に塗る目薬を買いなさい」。
聖書では、わたしたちの活動し働く信仰(ガラテヤ五・六)を金にたとえており(Ⅰペテロ一・七)、神の神聖な性質、すなわちキリストの神性は、金で予表されています(出二五・十一)。わたしたちは、信仰によって神の神聖な性質にあずかります(Ⅱペテロ一・一、四―五)。後退した回復の召会には、キリストに関する教理の知識がありますが、キリストの神聖な要素にあずかるための生きた信仰を、あまり持っていません。召会は代価を払って、火のような試練を経た金の信仰を得る必要があります。それは、実際の金、すなわち、キリストのからだにとって命の要素であるキリストご自身にあずかるためです。こうして、召会は金の新エルサレムの建造のために(啓二一・十八)、金の燭台(一・二〇)となるでしょう。
予表では、衣は行為を象徴します。啓示録第三章十八節の「白い衣」は、主に良しとされる行為を象徴します。そのような行為は、召会から生かし出された主ご自身であり、それは後退した回復の召会が、裸を覆うために必要とします。
目に塗るのに必要な「目薬」とは、油塗りの霊であるはずです(Ⅰヨハネ二・二七)。油塗る霊は、命を与える霊としての主ご自身です(Ⅰコリント十五・四五)。「買う」ためには、代価を払う必要があります。後退した回復の召会は、極度に必要としている金と白い衣と目薬を、代価を払って買う必要があります。
<抜粋>パンと魚