ヨハネ16:8-11, 8節のノート2
「彼[慰め主、実際の霊]が来ると、罪について、義について、裁きについて、世の人に自らを責めさせるであろう。罪についてとは、彼らがわたしの中へと信じないからである。義についてとは、わたしが父に行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなるからである。裁きについてとは、この世の支配者が裁かれたからである」。
「罪」はアダムを通して入って来ました(ローマ五・十二)。「義」は復活したキリストです(ヨハネ十六・十、Ⅰコリント一・三〇)。「裁き」は、罪の創始者また源である(ヨハネ八・四四)サタンに対してです(十六・十一)。わたしたちはアダムにあって罪から生まれました。罪から解放される唯一の道は、神の御子キリストの中へと信じることです(九節)。わたしたちが彼の中へと信じるなら、彼はわたしたちに義となられ、わたしたちは彼にあって義とされます(ローマ三・二四、四・二五)。もしアダムにある罪を悔い改めず、神の御子キリストの中へと信じないなら、わたしたちは罪の中にとどまり、永遠にわたるサタンの裁きを受けます(マタイ二五・四一)。これらは福音の要点です。その霊はこれらの点について、世の人に自らを責めさせます。
<抜粋>パンと魚