ローマ6:11, 11節のノート1
「ですから、キリスト・イエスの中で、あなたがたも、自分は罪に対して死んでいるが、神に対しては生きていることを認めなさい」。
「認め」ることは技術ではなく、ローマ人への手紙第六章に啓示されている事実を見ることによって生じた、自然に信じ、自然に考えることです。わたしたちはその事実を見て信じ、それを承認し、それにしたがって、罪に対して死んでおり、神に対して生きていることを、認めなければなりません。
しかしながら、「認め」ることが死の原因となるのではなく、またそれだけで、わたしたちの内側にキリストの死を執行することもできません。ローマ人への手紙第八章で啓示されているその霊を享受してはじめて、この章で啓示されたキリストのすべてを含む有効な死、彼の復活とその力を経験するのです。この章は、わたしたちのためにキリストによって達成された、客観的事実を見せています。これらは、わたしたちが信じることと認めることを必要とします。第八章は、その霊の主観的働きを見せています。すなわち、キリストによって達成された事実を、わたしたちの実際的な経験の中で実際とならせるのです。これらは、わたしたちがキリストと交わり、キリストを享受することを必要とします。第六章で語られている事実は、第八章に啓示されたその霊の中ではじめて、わたしたちの経験となることができます。
<抜粋>パンと魚