使徒26:18, 18節のノート1, 6, 7
「彼らの目を開き、彼らを暗やみから光へ、サタンの権威から神に立ち返らせるのである。それは、わたしにある信仰によって、彼らが罪の赦しと、聖別された人たちの間での嗣業を受けるためである」。
これは、神のヨベル、主の受け入れる年の成就を遂行することでした。神の福音の祝福、新約のヨベルの霊的で神聖な祝福の第一項目は、堕落している者たちの目を開き、彼らを暗やみから光に立ち返らせることです。それは、彼らが霊的領域の神聖な事柄を見るためです。これらのものを見るためには、霊的な視力と神聖な光が必要です。
この嗣業は、三一の神ご自身、彼が持っておられるすべて、彼が成し終えられたすべて、彼が贖われた民のために行なわれるすべてです。三一の神は、すべてを含むキリストに具体化されています(コロサイ二・九)。キリストは、聖徒たちに彼らの嗣業として割り当てられた分け前です(一・十二)。聖徒たちに与えられた聖霊は、この神聖な嗣業の前味わい、担保、保証です(ローマ八・二三、エペソ一・十四)。わたしたちは、神の新約のヨベルにおいて、前味わいとして、今日この嗣業にあずかり、享受しています。わたしたちは、この嗣業を来たるべき時代に、また永遠にわたって、完全にあずかり、享受するでしょう(Ⅰペテロ一・四)。
「聖別された人たちの間での嗣業」。聖別されるとは、わたしたちの今日の享受のために、わたしたちの所有である神で浸透されることです。わたしたちの聖別は、神聖な命の円熟において完成するでしょう。それは、わたしたちが神に似る者となり、来たるべき時代に、また永遠にわたって、彼をわたしたちの嗣業として完全に所有し、享受するよう資格づけられるためです。
<抜粋>パンと魚