へブル4:12, 12節のノート2
「なぜなら、神の言は生きていて活動しており、どんなもろ刃の剣よりも鋭く、魂と霊、関節と骨髄を切り離すまでに刺し通して、心の思いと意図を識別することができるからです」。
ヘブル人信者たちの魂と、そのさまよう思い、神の救いの道についての疑い、自分の利益を考えることは、生きていて活動している、切り離す神の言葉によって、砕かれなければなりませんでした。それは、彼らの霊と魂を分けるためです。
わたしたちの魂は、わたしたちの自己です(マタイ十六・二五、比較、ルカ九・二五)。主に従う時、わたしたちは自分の魂、自己を否まなければなりません(マタイ十六・二四、ルカ九・二三)。わたしたちの霊は最も深い部分であり、神に触れる霊的な器官です(ヨハネ四・二四、ローマ一・九)。再生されるのは、わたしたちの霊の中でです(ヨハネ三・六)。聖霊が住み、働かれるのは、わたしたちの霊の中でです(ローマ八・十六)。わたしたちがキリストと彼の恵みを享受するのは、わたしたちの霊の中でです(Ⅱテモテ四・二二、ガラテヤ六・十八)。ですからヘブル人への手紙の著者は、魂にとどまってさまよってはならない、魂は否まなければならないものであると、ヘブル人信者たちに勧告したのです。彼らは霊の中へと前進して、天のキリストにあずかり、彼を享受すべきでした。それは、彼らが千年期で、彼が王となられた時に王国の安息にあずかるためです。
<抜粋>パンと魚