9月13日 日ごとのパン

dailyfood01 日ごとのパン

Ⅰヨハネ5:6-8, 6節ノート1, 4

「このイエス・キリストは、水と血を通して来られた方です。水においてだけでなく、水においてと血においてです。そしてその霊は証しする方です。なぜなら、その霊は実際であるからです。証しするものが三つあります。それは、その霊と水と血です。そしてその三つは一つとなります」。

イエス・キリストは、神の御子として来られました。それは、わたしたちが神から生まれ、神聖な命を持つためです(ヨハネ十・十、二〇・三一)。神は御子にあって、わたしたちに永遠の命を与えられます(Ⅰヨハネ五・十一―十三)。ナザレ人イエスが神の御子であると証しされたのは、彼のバプテスマにおいてくぐった水(マタイ三・十六―十七、ヨハネ一・三一)、十字架上で流した血(ヨハネ十九・三一―三五、マタイ二七・五〇―五四)、彼が限りなく与えたその霊(ヨハネ一・三二―三四、三・三四)によりました。これら三つによって、イエスがわたしたちに与えられた御子であることを(Ⅰヨハネ五・七―十)、神は証しされました。わたしたちは彼の御名を信じることによって、彼の中で永遠の命を受けます(Ⅰヨハネ五・十一―十三、ヨハネ三・十六、三六、二〇・三一)。バプテスマの水は、旧創造の人を、葬ることによって終わらせます。十字架上で流された血は、神が旧創造の中から選び出された人を贖います。真理、命の中の実際であるその霊は(ローマ八・二)、神が旧創造から贖い出した人を、神聖な命で再生して発芽させます。こうして、彼らは神から生まれて神の子供たちとなり(ヨハネ三・五、十五、一・十二―十三)、真理(Ⅰヨハネ一・六)、神のみこころ(二・十七)、神の義(二九節)、神の愛(三・十―十一)を行なって、神を表現する生活をします。
「証しする」とは、真理、実際の霊(ヨハネ十四・十六―十七、十五・二六)が、イエスは神の御子であり、彼の中に永遠の命があることを証しすることです。このように証しすることによって、彼は神の御子をわたしたちに分与し、わたしたちの命となられます(コロサイ三・四)。

<抜粋>パンと魚

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