8月04日 日ごとのパン

dailyfood01 日ごとのパン

Ⅱペテロ1:1-2, 1節のノート5

「イエス・キリストの奴隷また使徒であるシモン・ペテロから、わたしたちの神また救い主であるイエス・キリストの義の中で、わたしたちと共に同じ尊い信仰を割り当てられた人たちへ。恵みと平安が、神とわたしたちの主イエスを知る全き知識の中で、あなたがたに増し加えられますように」。

信仰は真理の実際の実体化であり(ヘブル十一・一)、この真理は神の新約エコノミーの内容の実際です。神の新約エコノミーの内容は、「命と敬虔にかかわるすべての事柄」から成っています(Ⅱペテロ一・三)。すなわち、三一の神はご自身をわたしたちの中に、わたしたちの内側の命、外側の敬虔として分与されます。神の新約エコノミーの言葉とその霊を通して、神によってわたしたちに割り当てられた同じ尊い信仰は、そのような内容の実際に呼応し、わたしたちをその実際へ招き入れ、その実質をわたしたちのクリスチャン生活と経験の要素とさせます。そのような信仰が、キリストにあるすべての信者たちに分け前として割り当てられています。それは、それを受けた者すべてにとって、同じ尊いものです。神からのそのような分け前として、この信仰は神聖な真理において、わたしたちにとって客観的です。しかし、信仰はその実体化の内容すべてをわたしたちの中へもたらし、こうして、それらすべてを信仰自身と共に、わたしたちの経験の中で、わたしたちにとって主観的なものにします。それは、風景(真理)とそれを見ること(信仰)が、カメラ(わたしたち)にとって客観的であるようなものです。しかし、光(その霊)がその風景をカメラの内側のフィルム(わたしたちの霊)にもたらす時、見ることと風景がいずれも、カメラにとって主観的になります。

<抜粋>パンと魚

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