ヨハネ6:51、54
「わたしは天から下って来た生けるパンである。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きる。わたしが与えるパンはわたしの肉であり、世の命のために与えるものである……わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を持つ。わたしは彼を、終わりの日に復活させる」。
51節のノート2, 54節のノート2
パンは植物の命に属し、それはただ養うためです。肉は動物の命に属し、養うためだけでなく、贖うためでもあります。人が堕落する前、主は命の木でした(創二・九)。命の木はただ人を養うためでした。しかし人が罪へと堕落した後、主は小羊となられました(ヨハネ一・二九)。小羊は人を養うためだけでなく、人を贖うためでもあります(出十二・四、七―八)。
血と肉が分離することは、死を示します。ここで主は明らかにご自分の死、すなわち、彼が殺されることを示されました。主はわたしたちのために彼の体を与え、彼の血を流されました。それは、わたしたちが永遠の命を持つためです。彼の肉を食べるとは、彼が体をわたしたちのために与えることによって行なわれたすべてを、信仰によって受け取ることです。彼の血を飲むとは、彼が血をわたしたちのために流すことによって成し遂げられたすべてを、信仰によって受け取ることです。彼の肉を食べ、彼の血を飲むとは、十字架上でわたしたちのために行なわれたことを信じることによって、命と命の供給として、彼を、その贖いにおいて受け取ることです。この節を四七節と比較することによって、主の肉を食べ、主の血を飲むことは、彼を信じることであるのを見ます。なぜなら信じること、あるいは中へと信じることは、受け入れることであるからです(ヨハネ一・十二)。
<抜粋>パンと魚