7月04日 とりなしの祈り

とりなしの祈り

4日:霊を活用し、主との個人的な交わりによって真理を経験するように祈る

わたしたちが緊急に必要とすることは、どのようにして霊にしたがって歩き、明示する霊を享受し経験するかを学ぶことです…詩歌371番は「いかに霊を活用し、なれを享受するか。いかに霊に生くか、主よ、われを訓練しませや」と言っています。この詩歌は祈りであり、「いかに霊を活用するか、いかに霊に歩むか、主よ、われを訓練しませや」と祈る必要があります。マルコ第1章33節から38節は、「町中の者が戸口に集まった……さて、朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて荒野へ行き、そこで祈られた」と言っています。もし私が主であったなら、「もう少しここにとどまって、これらの福音を宣べ伝えるべき多くの人がいます」と言っていたと思います。この事が意味するのは、主は祈って、御父のみこころだけを顧慮したかったということです。環境が、主が行なうことを左右しませんでした。御父のみこころが彼の行なうことを左右しました。その時の御父のみこころは、彼が町から町へ出て行くことでした(マルコ1:35-38.詩62:8)。

[2021年5月メモリアルデー特別集会 メッセージ6 手話ノートより]

 

マルコ1:35

さて、朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて荒野へ行き、そこで祈られた。

マルコ1:36

すると、シモンとその仲間がイエスの後を追い、

マルコ1:37

彼を見つけ出して、「みながあなたを捜しています」と言った。

マルコ1:38

イエスは彼らに言われた、「近くのほかの町々へ行って、そこでも宣べ伝えよう.このために、わたしは出て来たのだから」。

詩62:8

民よ、どんな時にも彼に信頼せよ.あなたがたの心を彼の御前に注ぎ出せ.神はわたしたちの避け所である。セラ

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