使徒行伝2:24-28, 24節のノート1, 25節のノート3
「この方を、神は死の苦痛から解き放って、復活させました。イエスが死に捕らえられていることは、あり得ないからです。ダビデは彼について言っています、『わたしはいつも、わたしの前に主を見ていた。わたしが動かされることがないように、主はわたしの右におられるからである。それゆえに、わたしの心は楽しみ、わたしの舌は喜びたたえる。さらに、わたしの肉体も希望のうちに安息する。あなたは、わたしの魂をハデスに捨てておかれず、あなたの聖なる者が朽ち果てるのを見させられないからである。あなたはわたしに命の道を知らせられた。あなたはわたしを、あなたの臨在をもって喜びで満たしてくださる』」。
ペテロは使徒行伝第二章二四節と三二節で、神はイエスを復活させたと言っています。第十章四〇節から四一節でも、彼は同じことを再び言っていますが、「彼が死人の中から復活された」を付け加えています。人としての主について、新約聖書はわたしたちに、神は彼を死人の中から復活させたと告げています(ローマ八・十一)。神としての彼について、聖書は、彼自ら死人の中から復活したと告げています(Ⅰテサロニケ四・十四)。これは彼の二重の身分―人性と神性を証明しています。主は神と復活の両方であり(ヨハネ一・一、十一・二五)、不朽の命を持っておられます(ヘブル七・十六)。彼はそのような永遠に生きておられる方ですから、死は彼を捕らえておくことはできません。彼はご自身を死に渡されましたが、死には彼を拘留するすべはなく、かえって彼によって打ち破られ、彼は死から復活されました。
キリストが神によって支えられている時(イザヤ四一・十三、四二・六のように)、神は彼の右におられます。彼が神によって上げられる時には、彼が神の右に座しておられます(使徒二・三三、詩百十・一、エペソ一・二〇―二一)。
<抜粋>パンと魚