テトス 2:13, 13節のノート2-4
「祝福された望み、すなわち、わたしたちの大いなる神また救い主、イエス・キリストの栄光の出現を待ち望むようにさせています」。
「祝福された望み」とは、キリストの栄光の出現です。キリストの出現は、わたしたちを完全な子たる身分、すなわち、体の贖いへともたらします。それは、神の子の栄光の自由を享受するためであり、わたしたちが救われたのもこのためでした(ローマ八・二一―二五)。これは、永遠の命の望み(テトス一・二)、永遠の祝福の望み、三一の神の永遠の命にある祝福された望みです。
神はご自身の知恵によって、もろもろの時代の前にわたしたちをこの栄光へと定め(Ⅰコリント二・七)、すべての恵みの神は、この永遠の栄光へとわたしたちを召し、救われました(Ⅰペテロ五・十、Ⅱテモテ二・十)。この重い栄光は、卓越しており、永遠であって(Ⅱコリント四・十七)、この栄光をもって、わたしたちは栄光化されます(ローマ八・十七、三〇)。わたしたちの大いなる神であり、救い主であるキリストのこの栄光の出現は、わたしたちが待ち望んでいる祝福された望みです。
わたしたちの主は、わたしたちの救い主であるだけでなく、また神であり、そして単に神であるだけでなく、大いなる神、すなわち性質、栄光、権威、力、行為、愛、恵み、すべての神聖な特質において、大いなる神です。テモテへの第一の手紙第二章五節で、彼は人として啓示されており、ここでは大いなる神として啓示されています。彼は人と神との両方です。その神聖な栄光の出現は、彼の民を永遠の王国へと救うためだけでなく、彼らを神の永遠の栄光の中にもたらすためでもあります(ヘブル二・十、Ⅰペテロ五・十)。ですから、彼の栄光の出現は祝福された望みです。
<抜粋>パンと魚